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循環だより 2016/4/6~4/21 「憲法『肯定デモ』ってどうだろう(2)」

1948年(昭和23年)生まれのぼくが学校で初めて憲法について習ったのはいつだったのかは想い出せない。
しかし、その時の印象は強く残っていて、憲法は光り輝いていた。
それまでの暗黒の時代、人々は軍国主義の流れにあらがえず、他国のどれだけの人々を殺傷したのか。
そして、この国のどれだけの人々が犠牲となったことか。
赤紙(紹集令状)が届くと、戦列に加わるしかなく、異を唱えた人は非国民とレッテルを貼られ、
特高警察によって過酷な尋問、拷問にあった。
だから憲法成立後に生れて良かったと心底思った。
そして、二度と戦争は繰り返してはならないとも。
憲法九条「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
もっと易しい言葉で習ったと思うが、子供心に、いさぎよくかっこいいなと思ったものだった。
しかし、その後、ぼくはどれほど憲法を大事にして来たか。
国の繁栄の中で、憲法は空気のような存在になり、少しおろそかにして来たのではないかと言う気もする。
でも、自分の価値観の様なものの、その根源を土中に延びる野菜の根をたどるようにまさぐって行けば、その先に現憲法があるというのは事実だ。
ぼくは19歳の時、ベトナム戦争に反対して、非暴力の座り込みに参加し、逮捕された。
その座り込みを呼びかけたのは、去年亡くなった鶴見俊輔さんだった。
その日以来ずっと、さまざまな社会行動に参加して来たが、非暴力のあり方に疑問を持ったことはなかった。その根っこはどこにあったのだろうかと、色々考え、ガンジーでもない、キング牧師でもない、勿論、鶴見さんを含め、いろいろな人から影響を沢山受けているけれど、詰まるところ憲法九条だったのではないかと、最近気がついた。九条の非暴力の精神にぼくは導かれてきたのだと。
幾百万の犠牲者の魂は、憲法によって、憲法を守って行くことによって救済されるのではないか。
集団的自衛権は、根本において間違えていると思う。
安倍政権の言動を見ていると、また戦前のような状態に引き戻されそうな危惧を覚える。
ここで声を上げないと、大河の堤防が決壊した時のように、人々と生活と権利、そして平和が無残にも押し流されて行く気がする。すでに一部、決壊した。堤を守るには、もっともっと多勢の人々が多様な方法で堤を踏み固めることが必要だ。
安倍政権を中心に置くと、ぼくは肯定者で、世論調査においても国民の多数が肯定者、安倍政権が否定者だ。
もっと公然と、一人一人が声を上げよう。
平和憲法いいね!
変える必要ないね!
選挙は大事!
投票に行こう!
(つづく)→この呼びかけへの反応、具体的な進み具合について報告します。
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「憲法『肯定デモ』ってどうだろう(2)」が届きました。
憲法9条が覆ろうとしている…。
息子が戦争に行く姿が目の前にちらつき、絶対にイヤだ!と思った。
声をあげなければ!と思った。
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